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やっぱり海が好き!

今日は負けても、いつか、追いつく!賢者への キーワードは「無知の知」

こんにちは、halukaです。

 

人には、プライド(自尊心)や

ジェラシー(嫉妬心)があります。

 

置かれた立場やコミュニケーションの進み具合によって、

そのプライドやジェラシー思わぬ ″揺れ″ が生じて、

自分自身の考えや発言、その場での行動が大きな影響を受けることさえ、

決して稀(まれ)ではありません。

 

ビジネスの世界では、そんなプライドやジェラシーは、

ほとんど何の役にも立たないものです。

 

たいていは、さっさと捨て去った者の勝ちです。

無知の知」は、情報化時代の今、

これまでより意味を強めた生き残りのためのキーワードとなっています。

 

人は、歳月とともに変化していくので、

自分が今、どのような状況に置かれているのか、

あるいは、どのような姿をしているのか、

あるいは、どのような在り様かを

自分自身で知ることは簡単ではありません。

 

東証一部上場企業でさえ、

「社員の終身雇用は難しい」と明言し始めました。

きびしい精査の時代がくるのかもしれません。

 

そうなりますと、

「これが自分だ」と思っている「自分」と

「他人からの評価」の間に

誤差や、格差が現れる場面も増えてくるはずです。

 

企業の社員研修、幹部研修などでも指摘されることですが、

「自分を客観的に見る」とか、

「自分を自分で適切に評価する」というようなことは、

往々にして、口で言うほど容易ではありません。

 

それは、自己肯定論ともつながる考え方ですが、

人を貶す(けなす)ということは、容易ながら、

自分を貶す(けなす)ことは、容易ではない、からです。

 

その困難さは、

人生を重ねるほどに、自分自身で分かってくるものです。

そして、嫌でも応でも、

″自分の限界″ を思い知らされる時がきます。

けれど、だからと言って、

自分が ″ダメ人間″ になど、なるわけではありません。

 

肝心なことは、自己を過大評価せず、

無知の知」の習慣を会得することです。

 

ヒトは、神、ではない。

ですから、知らないこともあります。

″限界″ が生じることは、

「百も承知」でいなくては、ならないわけです。

 

自分の限界を自覚するようになれることは、

他人をいたわることにつながる場合もあります。

 

そういう視点に立つと、

「あの人はすごい!」と、

世間的に「賢いひと」とされている方も、

実は、「普通のひと」だったりもするのです。

 

生き残るために肝心なのは、

「今日は負けても、いつか、追いつく」と

決してあきらめないこと。 

そして、かしこぶることなく「無知の知」を肝に銘じておくことです。