こんにちは、halukaです。
年末の多忙なこの時季、
皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。
きょうは、「モノは考えよう」だというお話しです。
「困った時の神頼み」も、
よく知られたことわざにありますが、
きょうは、「捨てる神あれば、拾う神あり」に注目です。
「捨てる神あれば、拾う神あり」は、
皆さま、よくご存知のことわざのひとつです。
愚直なところ、
この言い回しをそのまま受け取りますと、
そもそも、「神はいるのか」とか、
「神を信じるか」という話にもなってしまいますが、
そこは考えようです。
少し言い換えて、
「捨てる人もいれば、拾ってくれる人もいる」と、
そんなふうには考えられないでしょうか。
もう一歩踏み込むとすれば、
「捨てる自分もいれば、拾う自分もいる」。
そんな前提に立ってみたところで以下にまいります。
自分が取り組んでいる物事がうまく運ばなかった時に、
「どう考えても運が悪かった」とか、
「どうにも間が悪かった」とか、
「運」や「神」「間合い」に頼ってしまったり、
「そのせい」にしてしまう方も中にはおいででしょう。
けれども考えてみますと、
それで、その先の道が明るい方向へ延び、
あるいは閉ざされた扉が開くというようなことは、
まず、めったにありません。
と申しますか、
「運では、道は明るい未来に向けて延びないし、
扉も開かない」と、
いささか耳の痛いお話しですが、
そう申し上げた方が早いでしょう。
「世の中、自分にとって運の悪いことばかり、
ということは、あまりないのだ」くらいに考えたいもの。
そんな気持ちを持った方が、
ロジックが逆転しますが、「運で道が明るい方向に延びたり、扉が開いたりした」
気持ちになれるものではないのでしょうか。
取り組んでいる物事が上手くいかなかったときに、決して、
投げやりに、ならないことです。
「自分を見放す人もいれば、
手を差し伸べてくれる人もいる」。
そう信じましょう。
たとえ、上手くいかないことがあったとしても、
落ち込まないことです。
落ち込んだとしても、絶望したりしないで、
そんな時こそ、前を見てみましょう。
大切なことはとにかく、
あなたが歩もうとしている道の先にある希望を見失わないことです。
その希望を見失わないためいは、意欲を持ち続けること。
それが、次のチャンスを、確実につかみ取る、唯一のこつです。
上り坂がある、ということは、下り坂があり、その逆もまた然り、です。
ただ、ただ、それだけのこと。
自分を拾う神は、実は自分自身かもしれません。
そんな自分をこそを、探し、見失わないよう、拾いましょう。