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やっぱり海が好き!

進め!俳句ビギナー㉖。「清流に舞う蛍を思う頃。『源氏蛍』に『平家蛍』。『初蛍』に『蛍火』と季語に詠まれるほのかな命を知る」の巻。

こんにちは、halukaです。

 

ちょうど今頃の時季でしょうか。

5月の終わりくらいから、

6月に掛けての間、

日が沈んだ頃合いに

ホタルを探しに出掛けた記憶はありませんか。

 

「源氏蛍(ゲンジボタル)」、

「平家蛍(ヘイケボタル)」をはじめとして、

「初蛍」や「蛍火」、「蛍狩り」など、

「蛍」は、

6月の頃の俳句によく詠まれる、

親しみのある「季語」のひとつです。

今年も、もうそんな季節を迎えます。

 

夏の初めから梅雨の頃、

清流のせせらぎが耳に届く辺りで、

手に取るほどにはないのだけれど、

夕闇に隠れた木々の枝葉や草むらに

ほのかな線を描いてみせる、

音のない、ささやかな蛍の発光は、

目の前をふいに流れて、消えては灯り、

その光景は、

涼し気でもあり、夢み心地にも思います。

 

「蛍二十日に蝉(せみ)三日」とは、

物事の盛りが短いことの例えですが、

それほどの淡い灯だからこそ、

見る者に何かしらの心情を持たせて、

それが五七五の俳句に詠まれるのかもしれません。 

 

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   【写真AC】

 

俳句教室に通うようになってしばらく経ちます。

自分ではもう気づいてはいるのですが、

「さあ、俳句をつくろう」と意気込むと、

作句は、どうにもうまくいきません。

 

力みと言いますか、

考えすぎと言いますか、

つい、

奇をてらってしまう面もあったりで、

「ありのままを素直に詠む」という、

気の置きようを忘れてしまうようです。

 

「俳句は日常を詠む」

「ありのままを端的に」と習いながら、

つい、肩に力が入っしまうのが

まあ、ビギナーたるゆえんなのでしょう。

 

振り返れば、4月の頃。

春が去る様子を惜しむ、

「惜春(せきしゅん)」という季語を知りました。

 

「春を惜しむ」という思いには、

時とともに過ぎ去る季節に感じる、

愛おしさ、切なさのような情愛が

込もっているようにも思います。

 

「厳しい寒さの冬が去る」ことを「惜しむ」とは、

なかなか言わないようには思いますが、

「春が去る」ことを「惜しむ」というのは、

春という季節がもつ、暖かさや優しさ、

あるいは、

軽やかさや爽快感に

心惹かれる魅力があるからでしょう。

 

季語にもある「蛍合戦」は、

蛍が求愛のために入り乱れて飛ぶこと、と聞きます。

蛍の灯は、自然の営みが見せる、

命の明かりということでしょうか。

 

蛍を探しに出掛けた夏の夕暮れ、

そんな光景に出合ったら、

その短命を知っていたなら、

その愛らしさに、

その光景を惜しむという、

愛おしさを思い出すのも

今日この頃の季節柄かもしれません。

 

蛍の灯を見つけたならば、

肩の力をすっと抜いて、

そのありのままを一句詠むようなことができれば、

またひとつ、季語が身につくようにも思います。