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やっぱり海が好き!

新古今将棋道⑥。「歩のない将棋は負け将棋の定説通りに歩がなくなって絶対絶命に陥っても諦めなければ、定説が覆るかもしれない」の巻。

こんにちは、halukaです。

 

囲碁や将棋、チェス、トランプなど、

大抵のテーブルゲームには、きちんとした根拠に基づく、

「謂われ(いわれ)」と、申しますか、定説があるものです。

 

「歩のない将棋は負け将棋」も、有名どころに名を連ねる、その一つ。

将棋対局にあたって、冒頭、自分と相手が、それぞれ9駒ずつ持ち、

盤上に計18駒と、将棋の駒のなかでは、

最も数の多い歩兵(ふひょう)は、

けれども、当初はまっすぐに前を向いて、

ひとマスずつ進むことしか許されていません。

 

つまり、将棋の駒としては、攻撃力が低く、

“面白み” に欠けることから、

存外、泡沫に扱われることもしばしば。

 

ところが、旅路の困難を乗り越えて、

見事、相手陣内の三段以内に潜り込めば、

金将(きんしょう)」と同じ動きを得る大出世を為し、

たちまち、相手の脅威となります。

 

その上、もしそれが、相手に取られたとしても、

その後、相手が、それを使おうとすれば、

再び、「歩兵」としての動きから始まる、という、

なんとも、重宝な、愛らしい駒の一つです。

 

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  【写真AC】

 

そんな、魅力あふれる駒だからこそ、

「歩のない将棋は負け将棋」と、諭され、

ビギナーから上級者まで、

歩兵を大切に扱う人は、

いつしか、周りを見返すことができるようになるのでしょう。

 

歩兵が、手持ちの駒の数では、最も多い、

と先ほどご説明いたしました。

 

その、数の多さを強みにして、

ぞんざいに扱っているわけではなく、

相手にわざと取らせてみたり、

相手の主要な駒の付近に何度も指して、

自陣におびき寄せるなど、

その姿は、

指し手の知力をそのまま映す、

磨き込まれた鏡となります。

 

本日のhalukaブログの副題は、

「歩のない将棋は負け将棋の定説通りに歩がなくなって

絶対絶命に陥っても

諦めなけば定説が覆るかもしれない」といたしました。

 

ゲームは、諦めたら、その場で終了です。

ほかの駒では出来ないことを、歩兵にやっていただく。

そのための、独自の創意と工夫があれば、

どんな絶体絶命も、たまには、何とかなるものです。

 

オリジナルを大切にすること。

それが、次のチャンスを呼ぶような気もしております。

 

追伸:定説は、覆されるためにある。  by.haluka

 

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