こんにちは、halukaです。
私が師と仰ぐ先生との将棋戦、第4局。
ジャンケンポンの勝敗による先手取りは、先生。
このところ、
「ジャンケンポンに勝ち、先手を取った者が勝者になる」という、
私ども独自の対局スタイルが確立されつつあり、
今宵は、ぜひ、そうしたジンクスを破らむ!と、
先生の妙技に抗ってまいりました。
ジャンケンポンのグウにより、先手を取った、師。
着手早々の振り飛車(ふりびしゃ)です。
取った戦法は、中飛車(なかびしゃ)。
先生のご自分の王将の真ん前に、
大駒(おおごま)の一つである、
飛車が「ドン」と構える姿は、
我が身に迫る恐怖を感じさせるのに十分でした。
開始1分の師のその一手で、
もう、その1局の展開について、
それが、穏やかなものになるなどとは、
誰ひとり、思うはずがございません。
「ならば」と、私の開始の一手も、振り飛車を取り、
採用したのは、当然、中飛車です。
つまり、「相振り飛車(あいふりびしゃ)」。
将棋の歴史は長く、
もう、打ち尽くされただろう、と言われる、
あらゆる定跡を追っても、
「相振り飛車」にはまだ、未着手の筋がある、などとも言われる、
不思議な相対です。
早々に私が覚悟したのは、
将棋盤の中央辺りに「玉将(ぎょくしょう)」を浮き飛ばされる、
空中戦でした。
まあ、師が、その手に乗っておいでになる、とは、
露ほども思ってはおりませんでしたが、
私の場合、自分の棋力を踏まえますと、
空中戦の覚悟は、当然の気構えです。
ものの20分と経たないうちに、
私の大切な大切な、世の行く末を左右する玉将は、
私の意など、顧みることはなく、
とっとと、盤の中央ラインを越え、
師の元へと、突っ走って行ってしまいました。
【写真AC】
「捨て身」とは、ああした場面でのみ、生きる手です。
私は、自分の大駒の一つである、飛車を早々に見捨て、
盤上に生き残った、自分の角行(かくぎょう)、
金将(きんしょう)、
銀将(ぎんしょう)、歩兵(ふひょう)を中心に、
「守りの空中戦」という、
あまり聞きなれない、と申しますか、
それは、将棋の概念として、成立するのか…
という雰囲気の戦いを余儀なくされてしまいました。
ところが、そこからが、私の本領発揮、と申しますか、
先生の親心の発揮のしどころ。
新古今将棋道②。「親心と恋心と勝負勘のどれが一番大切かと問われても今はまだ答えに窮するばかりなり」の巻。 - halukaブログ
残る70分の間、私の玉将は生き残り、
同時に、先生の王将(おうしょう)も、
なぜか、空中に浮いておりました。
(こういうところが、私の師の人間味あふれる場面です)。
その上、私は、
頭に乗った師の大ポカを見逃さず、
「成り飛車、成り角行、金将取り」という、
またとない、「同等への道」にたどり着くことが出来、
そこからは、双方、持久戦。
(あるいは、消耗戦と、呼ぶべきでしょうか)。
これが、まさに相振り飛車の醍醐味です。
師と私は、互いに相手の駒を取り合う、
スリリングな戦いに、すっかりはまり、
夢中で指し合っていたところ…
師の奥様である、ご夫人から、神のひと声が…
「ねえ、あなたたち、もう、夕ご飯の時間だわよ」。
あわよくば、師の王将を狙い打ちにしようと構えていた私。
もう少し、私をいたぶろうとしていた、師。
双方の、まるでヤンチャな小坊主のような思惑は、
神のひと声で、淡くも露と消え、
「先生、今日はこれ、千日手ということにしましょうか」と、
「将棋では少ない場面」と言われる、「引き分け」に勝手に持ち込み、
デザートには、ご夫人手作りの美味しい焼き菓子にまでありついた、
結構、贅沢な夕の刻でございました。(^_-)-☆