こんにちは、halukaです。
本日の主題は「自分流 “旅のスタイル探し” 」ではありますけれど、
ちょっと欲張って、その「旅」を “人生という旅” と置き換えて、
そのことについて少しだけ、考えてみようかなあと思う次第です。
人はたいてい、幼少の頃から、いろいろな習い事や学習や、
しつけや行儀や身近な人の生き方や本や映画で知った冒険や、
そのほか、ほんとうにいろいろな刺激によって、
夢や希望を胸に抱いて、やがて青春の頃を迎えて、
成人して、家庭を持つ幸運に恵まれた方は家庭を持ち、
そうでなくても、自分なりの生き方を見つけて、
その生き方を実践していくのではないのかなあと、
そんなふうに思ったりもします。
それにそもそも、性格だとか、使い慣れた言語だとか、
慣れ親しんだ生活習慣や生活文化といったものが絡みますので、
その色合いは千差万別なのかなあと、
そう思っております。
【写真AC】
「投影」という日本語があって、
「物体の映った影」
「物の見え方や解釈の仕方に、心の内面が表現されること」
「物事が他に影響すること」といった具合の解説が目に入ります。
その解説を読みながらふと、思ってみますと、
それは要するところ、
「人生」というものは、
自分自身の心を映し出す、つまり、投影する舞台であって、
その主役は、オーディションなど受ける必要もなく、
母親の胎内から産まれおちた、その瞬間から、
いや、もしかすると、その胎内にいた時分からすでに、
自分自身であって、
それは、どんな方にも支配などされない、
自由に自分を表現できる場、なのではないのかしらと、
そんなふうに考えてみたりもしています。
【写真AC】
けれども、現実の生活は、
サラリーを得なくてはならなかったり、
さまざまな形態の競争に挑まなくてはならなかったり、
挑んでも力が及ばなかったり、
挑もうにも、先立つお金が足りなかったり、
ケガや病気があったり、
不仲があったり、なかったり、
いつまでも話し合いばかりをしている人たちがいたり、
嬉しい事と同じくらいの頻度で、嬉しくない事に遭遇してしまうのも、
その、人生なのかなあと、思ったりもします。
もしも、そのような仮定が成り立つとするならば、
舞台を楽しみにして訪れてくれる観客の皆さま、
つまり、
家族や友人や先輩や後輩や恩師やまだ見ぬ、先々の友人たちのために、
その方々が、「すてきな舞台だった」と喜んでくださるには、
いったい、どうしていればいいのかと、そこのところを考えてみますと、
あまり、いい知恵ではないのかもしれませんけれども、
それは、
「常に常に常に、前回より、きのうより、さっきより、
創意と工夫と努力を重ねた」、
そんな舞台を演出してみること。
要してみますと、
「自分自身が、自分自身の人生のプロであること」。
もうそうした答え以外に、今のところ、行き着く先がないなあと、
そんなことを思っている夕べです。