お題「#おうち時間」
こんにちは、halukaです。
「こどもの日」、「立夏」、「初夏」、
「卯月(うづき)」、「牡丹(ぼたん)」、
「更衣(ころもがえ)」…
なにをそんなに勇んで列挙しているのかと、
そう、いぶかしがられても不思議はない、
我ながらの唐突さです。
お気づきの方もおいでかと思いますが、
実はこれら、いずれも俳句で詠われる、
5月の季語です。
手元の季語集のページをめくると、
「新樹(しんじゅ)」、「新緑」、
「若葉」に「薄暑(はくしょ)」と、
はつらつとした「夏遠からじ」と、
そう思わせる季語の数々が並び、
1月や2月の厳冬の頃の季語と比べますと、
ほのかで麗らかな雰囲気が醸し出されて、
もうそれだけで、和やかな五・七・五がふと、
浮かびそうな気もします。
俳句で詠う「季語」は、
「ひと言で、季節を言い表す言葉として、
もう十分に洗練されている」という妙がありまして、
私のような初心者の中の初心者にとっては、
季語が身近なほど、俳句をつくりやすそうな、
俳句を詠みやすそうな、
そんな安易な思いも頭をよぎる次第です。
理由は単純でして、
「聞き慣れた、身近な言葉が季語であるなら、
その場で目にした景色や風物を
考えあぐねることなく、
即座に俳句に詠めるのではないか」との、
浅はかな思惑がございます。
【写真AC】
俳句の習い始めとありまして、
「日常を詠む」をテーマにしている私の場合、
聞き覚えがあって、身に覚えのある季語を、
どちらかと言うと愛好する傾向が否めません。
つまり、
自宅の庭に生えていない
「雛罌粟(ひなげし)」という、
かれんな花をめでる季語より、
「柏餅(かしわもち)」という、
食感を知る季語の方が、
より親しみやすいわけです。
あるいは、
生涯初めて耳にする
「卯の花腐し(うのはなくだし)」という、
「咲いた卯の花を腐らせてしまう雨」との意味深く、
なんだか物悲しさ漂う季語より、
「穴子あなご)」や「鱚(きす)」や
「鯖(さば)」のように、
舌鼓を打ちたくなる季語に気を引かれてしまう、
という具合です。
本日のお題、「#おうち時間」は「作句なり」。
そういう心持ちの夕の刻。
お気に入りの5月の季語「葉桜」の頃です。
喜び勇んで季語ばかり並べていないで、
まずは、一句詠んでごらんなさいと、
習うより慣れよの精神で挑んでみます。
感染の阻止・防止のため、
「密閉された空間」、
「密集する場所」、
「密接な場面」の
「三つの密を避けましょう」、
「人混みを避けましょう」と、
要請、呼び掛けも続いています。
手洗い、うがいの徹底、咳エチケットなど、
個人で出来る防止対策には限りがあるかもしれませんが、
そんな一つ、一つが大切なことのようにも思います。
医療や福祉、
そのほかにも多くの分野で、
防止などにご尽力なさっている方々、
どうぞ、ご自愛ください。
新型コロナウイルス禍の一日も早い終息を願っています。