halukaブログ

やっぱり海が好き!

進め!俳句ビギナー㉕。「五感で切り取る季節の変化と心象風景。その移ろいを映してみせる季語が振るう采配は躍動感と小粋なリズムに包まれて」の巻。

こんにちは、halukaです。

 

新型コロナウイルス禍の影響で、

しばらく休講となっていた俳句教室から、

再開の知らせが届きました。

 

1月、2月、3月と、

そぞろ歩くように季語を追いながら、

「俳句を詠む」ということを習っていましたが、

4月、5月辺りがぽかりと空いた様子になって、

少々、急ぎ足で、季語に追いつくと言いますか、

季節に置き去りにされないように、

その節目を肌で感じていたい心持ちです。

 

春夏秋冬の四季には、それぞれ、

その季節ならではの

“采配” が効いているように感じます。

 

それは、

川や森や海が映し出す風情だったり、

花々の色合いだったり、香りだったり、

身にまとう衣服だったり、

旬の食材や風物詩だったり。

 

折々に目に耳に、

手先に舌に触れる感覚が、

季節の移ろいを教え、

気分をリフレッシュさせたり、

時節について思索を求めたり、

日々を営むことの意味をあらためて

考えさせてくれたりもします。

 

五・七・五の語調が奏でる俳句と、

それに併せて書き綴る「俳文」もやはり、

季節感や世情を映し出すものです。

 

季節や世の中の動きは、知らず知らず、

人の心情に映り込んで、

詠う俳句や綴る俳文のどこかしこに言葉になって表れて、

それがまた、味わいとなって、

俳句や俳文を観賞する人の気持ちを打つのでしょう。

 

たとえば、2月の季語にある「麦踏み」。

「麦踏み」とは、真冬、畑の土を持ち上げる霜柱が、

育ち始めた麦の根の先まで、

土と一緒に持ち上げてしまうので、

麦が丈夫に育つようにと、

その根を何度も踏み込むもので、

大変な農作業なのだと、そう意味を知ります。

 

そうして、季語集の5月のページをめくっていると、

「麦の秋」、「麦刈り」、

あるいは「麦飯」といった季語と出合って、

「麦踏み」の甲斐あって、厳冬を耐えた麦が育ち、

梅雨の前になり熟れて、収穫の時が来たのだと、

その喜びを季節の言葉が知らせます。

 

季語が振るう、そんな采配が小粋に思えて、

季語集の次のページをめくっています。

 

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   【写真AC】

 

このところ、季節は初夏。

朝夕はまだ、肌寒さを感じはしても、

日中はシャツ1枚で過ごしたところで、

何かしらの不便がある訳でもなく、

野の花に蝶を舞わせて吹く風も、

日ごとに方角を南寄りに変えながら、

暖かさを増しているようにも感じます。

 

そんな気分で季語集のページをめくっていたら、

「青嵐(あおあらし)」「風薫る」という、

リズミカルな6月の季語に出合いました。

 

「青嵐」は、夏、緑の林や草原を吹き渡る風。

「風薫る」は、夏の南風を称えた言葉です。

 

5月初めの新緑の頃からすると、

木々の緑はいっそう色濃くなって、

心まで浮き立つような、躍動感が漂うシーズン。

 

「やがて梅雨が来て、その梅雨が去ったら、

真夏がやって来る」。

そんな当たり前をにこやかに体感できる日々になったらと、

そんなことを思っています。