こんにちは、halukaです。
俳句は、五・七・五 の17文字で完結します。
その辺りは、皆さまご存知の通りでございまして、
その文字数から、「世界で最も短いポエム」とも
呼ばれるそうです。
日常の観察眼を磨き、
言葉を仕入れ、
その言葉を磨き、
季節に合った季語を挿し入れ、
推敲(すいこう)してみる。
私の場合、
昨年の暮れから、
ふとした弾みで俳句教室に通い始めたばかりですから、
そんな手順など踏んでいる余裕は当然のようになく、
今のところは、“まず、季語ありき” で、
俳句を学んでいるありさまです。
何しろ、季語を挿し入れなければ、
俳句にならないのですから、
季語集さまさま、というのが正直な心境です。
そんな現況にありましても、
素人なりに、少し分かってきたこと。
それは、
「これは、いいなあ」と思える句は、
「その様子が、自分なりに、まぶたに浮かぶ」
という感覚を持つことが出来る句だという、
そういう雰囲気を持っているものだなあということです。
【写真AC】
たとえば、冬。
厳冬の風雪、
真冬の北風、
白銀の世界、
そんな自然の光景が、
わずか17文字に的確に反映され、
その光景が17文字に反映されるだけでなく、
反映された光景から、
冷たさ、寒さ、暗さ、まぶしさ、
輝きといった感触を五感が感じ取ることが出来、
さらには、
五感が感じ取ったそれらの感触を
強さ、慈しみ、決意、優しさといった、
人の心情に差し替えて伝えることが出来る。
いわば、詠み人が、
その句を詠んだ時の心持ちが、
短いポエムになって、心情とともに別の誰かに伝わる。
今のところの私などが、
「これは、いい句だなあ」と感じると言いますのは、
言うなれば、そういう風情でしょうか。
【写真AC】
俳句がもつ、そんな素晴らしい写実性は、
選び抜かれた「言葉」が、
ひとつの大切な要素なのかもしれません。
“選び抜かれた” とは、何も、
選りすぐって難しい言葉、だとか、
ふだんは使いもしないよそ行きの「あいさつ言葉」…
というような意味ではなく、
ごく身近にある、
ごく身近に使ってきた言葉の中にあって、
俳句を詠もうとした時に、
自分の感性がふいに運んできた言葉。
その言葉を練り、組み立て、
崩し、
また、組み立て直す…
そんな工程が楽しめれば、
自分で詠む俳句というものが、やがて、
移ろう季節や、
人の五感や、
自分の心情を伝えるような “写実性” を
少しずつでも身に付けていくのかなあと、
近頃は、そんなことを考えてみたりもします。
イラストや絵画や彫刻が、
素晴らしい写実性や創造性を備えるように、
俳句もきっと、
そうした魅力を持っていて、
だからこそ、長い歴史のなかで、
多くの句が、多くの詠み手によって、
詠まれ続けているのかなあと、
そうも思います。
習い始めたばかりの俳句ですが、
「おうち時間」に、
ちょっと夢想してみようかなあと、そんな気分です。
「密閉された空間」「密集する場所」「密接な接触」の
「3密」を避け、
人混みを避けましょうと、
呼び掛けが続いています。
全国に緊急事態宣言が出ましたが、
医療・福祉、その他のあらゆる関係分野で、
新型コロナウイルス感染の治療・防止のため、
ご尽力なさっている皆さま、
どうぞご自愛ください。
病床にあって、ご快復を心待ちになさっている方、
そのご家族へ、
心よりお見舞いを申し上げます。
手洗い、うがいの徹底など、感染の阻止・防止のため、
個人で出来ることには限りがあるかもしれませんが、
気持ちを分かち合い、
一日も早い終息を願っています。