halukaブログ

やっぱり海が好き!

渚のサーフ物語「『惜しむ』とは『愛すべきもの』かな。梅雨の晴れ間のサンセットクルージングが教える夕暮れ時の愛おしさ」の巻。

こんにちは、halukaです。

 

吹く風が、

厳冬の冷たさを置き去りにし始めた、

春 3月の頃が過ぎてから、

随分と日数が経ったように感じます。

 

月めくりのカレンダーは、いつの間にか、

6月の終わりを知らせようとしています。

 

4月の頃の俳句に詠まれる「惜春(せきしゅん)」とは、

過ぎ去る春を惜しむ言葉。

 

ほぼ1年を通して、

サーフィンを楽しみに海に通う身にしますと、

「惜しむ」とは、

「愛おしむ」ということのように感じます。

 

「厳しい寒さの真冬」や「激しい雨の日」を

「惜しむ」とは言わないところを考えますと、 

「惜しむ」とは、

時間とともに過ぎ去るもののなかで、

愛されるものであることのような気がします。

 

「惜春」とは、ほのかな暖かを運んできた春。

出会いと別れの季節でもある春が去るのが惜しいと、

そう、胸の内でつぶやくことのように感じます。

 

永久不滅ではない。

時間の経過とともに消えゆくもの。

それが胸の内にむくもりを運んでくるのであれば、

「惜しむ」という心持ちが湧くのでしょう。

 

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午後5時半。

太陽が西に大きく傾いて、夕陽が射す頃。

サーフィンを楽しみに通い慣れた海辺が、

防風林の影を砂浜に映しながら、オレンジ色に染まります。

 

午後の早い時間に降っていた霧雨はやんで、

雲の切れ間から、やわらかな太陽光が射しています。

 

アスファルト舗装された駐車場から浜辺に続く

コンクリート造りの階段辺りでは、

サーファーが海から上がる仕草を見せて、

脱ぎ置かれていたビーチサンダルが1足、2足、減り始める頃。

 

海上で波待ちをする、

居残りのサーファーの背にも夕陽が射して、

背の影が波間に長く伸びて映り始めます。

 

夕凪の海で、寄せて来る小波を受けて、

波間を走るサーフボード。

 

梅雨の頃は、小柄なウネリが続く日々です。

「きょう、最後のもう、ひと乗り」。

胸の内で、そうつぶやいて待つ小波

サンセットクルージングが教えてくれる夕暮れ時の愛おしさ。

 

海面の膨らみにパドリングを合わせてテイクオフすると、

西の空に浮かぶ太陽に向かって、

サーフボードが走ります。

 

1本乗り終えてみると、

胸の内でまた「最後のひと乗り」。

 

夕暮れ時の海辺の光景は、まぶたに優しく、肌に優しく、

胸の内にも優しく映ります。

 

「惜しむ」。

そんな心持ちが湧き上がって、「最後のひと乗り」。

 

コンクリート造りの階段に残されたビーチサンダルが

数えるほどになった頃、

ようやく「本当の最後のひと乗り」。

 

梅雨の晴れ間の夕暮れは、

夏本番の夕暮れにも似て、

愛おしく、名残惜しいものです。

 

梅雨の時季はもうしばらく続きそうです。

豪雨の災害などが起こらないよう、

恵みの雨となりますよう、そう願っています。