halukaブログ

やっぱり海が好き!

週末ライフ。「婚約と誓約と約束と契約。『約する』とはどういう意味なのだろうかと暇にまかせて考えてみましたら、こんな感じになりました」というお話。

 今週のお題「応援」

 

こんにちは、halukaです。

 

“眺めていることが意外と好き” な広辞苑(第六版・岩波書店)を、

いつも通りに眺めていましたら、

まあ、週末とあって、

案外ひまだった、ということも手伝ってはいるのですが、

随分と後半のページで、

「約する」という言い回しに出合いました。

 

解説を読んでみますと、

「たばねる」「ひきしめる」

「約束する」「契約する」

「節約する」「省約する」「はぶく」

「約分する」と、ありました。

 

まあ、せっかくの週末なので、

この際、「節約する」は、棚に上げておいて、

「約束する」ということは、

どういうことだろうかと、

そんなことを少しだけ考えてみたい気分でいたりもします。

 

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  【写真AC】

 

約束の種類と申しますか、形と申しますか、中身と申しますか、

その概要にはさまざまな形態があるように思います。

 

「待遇を約束する」

「秘密を守ることを約束する」

「未来、将来のことについて約束する」

「誘うことを約束する」

「返事をすることを約束する」

「行くことを約束する」

「大切にすることを約束する」…

皆さまの日常にも、いろいろな “約束” がおありになることでしょう。

 

では、その、約束。

それを結ぶということは、ただの顔見知り、ではなさそうです。

時と場合によりけりでしょうけれども、

ビジネスの際の取り引きであったり、

恋人同士が結ぶ、将来の結婚の約束だったり、

家族やクラスの守り事を運営していくための約束だったり、

恩師と交わした、何かしらの決意だったり、

大切な口約束だったり…

 

まあまあ、いろいろだとは思いますが、

その、どれにしましても、

相手もこちらも、その当事者の双方が誠実でなければ、

その取り交わしは、たちまち、

霧となって宇宙の果てに消え行くものなのではないのかなあと、

そんなふうに感じる次第です。

 

それが、簡単には、あるいは、

無責任には宇宙の果てに消えて行ったりはしないように、

「証」とか、「書」と名のつく書類が、

実際の社会で大切な役割を果たしていくのだろうと、

そう思います。

 

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  【写真AC】

 

幼年の頃の約束、年少の頃の約束、青春の頃の約束、

成人してからのそれ、老いてからのそれ…は、

少しずつだとしても、果たして、

形を変えゆくものなのでしょうか。

 

変わらないものもあれば、変わるものもある。

そんな普遍的な答えが、その答えとしては、

もっとも、しっくりとくるように感じます。

 

つまり、変わることも大切であり、

変わらずにいることも大切なのではないのか。

相手が “変わったから” とか、

相手が “変わらないから” とか、

そのおかげで、自分が困っているとか、

関係なんかないとか、

そういう考え方は、

「約束」という概念をどこまで、どの辺りまで、

縛りつけておくことが出来るのでしょうか。

 

「約束」をめぐる、法律的な論争は別としまして、

国際人でありたい、とか、

常識人でありたい、とか、

尊敬される人間でありたい、とか、

相手を思いやることが出来る人間でありたい、とか、

そういった、

それこそ、

人間としての普遍的な “意識” を基盤として考えるならば、

その答えは、きっと、

約束というものは、守る、あるいは、守られるためにあるのであって、

破るとか、捨てるとか、裏切るというような、

人の心を引き裂くためにあるのではなく、

人の心を束ねるためにあるのではないのだろうか。

 

そのために、あなたに届けたいエールは、ただ一つ。

「約束するよ」のひと言でいいのかなと、

そんなことを思った夕べです。