こんにちは、halukaです。
いや、はや、つい昨日のこと。
弊halukaブログで、「早々の春を感じる一日で…」と、
そんな具合の諸々を書いてみたばかりだったのですが、
本日のこの春時雨と、身も凍てつく冷え込み。
こういうものなのでしょうね、春を迎えるということは。
なんらかの、大げさですが、“試練” のようなものを乗り越えなければ、
“春” というようなものは、
早々には、やってきてはくれないのかもしれません。
ウインターサーフ物語。「寒空の下、路傍に小花が咲き始め、小春を思わせる陽気に誘われながらの散策で気分はもう春なのでした」の巻。 - halukaブログ
毎日の大切な生活を送りながら、
その上で、その日常を壊しそうになるかもしれないような、
そんな挑戦を常にいとわない…という姿勢と申しますか、気概に、
小説や映画やドラマで出合ったりしますと、
そして、それは、現実にもあるのですが、
そういう風に当たってしまうと、
たちまち影響を受けてしまうタイプでして、私。
「うん、人生は、やはり、挑戦だ!」とばかりに、
身の丈を知らぬ戦いに頭も体も突っ込んでしまってみたりも、時折します。
そういうことばかりを繰り返してみますと、
じきに、体のどこかに疲れとか、オリのようなものが蓄積してしまって、
前に進む力強さが、ふいにどこかに霧消してしまったりするのも、
人と申しますか、私の常でもあるように思います。
そんなときは、やはり、思い切って、
心と体を休めて、「休養」とか「休息」と呼ばれるような、
憩いの時間を自分のために確保して、
その時間のなかで、もう一度ゆっくりと、
いろいろなことを考えてみたりするのも、
決してヘンテコな試みではないように思います。
「人生の最大の敵は疲労である」というような、
なかなか説得力のある説もあったりしまして、
その疲労を癒すために、昨今では、
セラピーやリラクゼーションに身を委ねる方も少なくはなくて、
たまの旅先に選んだリゾート地でも、
降りそそぐ太陽光の下でパラソルなどを広げながら、
のんびりと時を過ごす方々の姿に出くわすことも、
少なくはありません。
南の島で、穏やかな波の音に耳を傾けながら、
いつしか浅い眠りに誘われる…というような、
何とも優雅で優美な身のいたわり方も、
長い人生のほんのいっとき、あってもいいように思います。
そんなふうに、心と体をいたわったら、
膝を折って、飛び上がる準備が出来たら、
「さあ、やってみようか!」という具合の気構えができたなら、
そのときは、もう一度、どーんと一発、
自分の夢や希望や理想にチャレンジしてみるのも、
そういう人生も、なかなか、きっと楽しいものではないのでしょうかと、
そういうことを、この寒空の下、考えてみたところでした。
「春遠からじ」って、ほんとうかしら? と、
いぶかりたくもなる風模様ですが、
「いや、もう、きっと、すぐそこだ!」と信じて、
その勢いで、自分のことや家族のことや友人のことも信じてみたりして、
新しい扉を「トン、トン」と叩いてみる気になってみるのも、
「そう、遠からじの人生の夢」かなとも、思うところです。