こんにちは、halukaです。
陽が西に傾きかける前。
勾配(こうばい)があるアスファルトの坂道で
車のアクセルを踏み、
丘の上の公園に向かいました。
梅雨の晴れ間。
森林浴というほど大げさではないにしても、
森の香りに浸りたくて向かった丘の上の公園。
照葉樹が生い茂るその丘は、
樹齢を十分に感じさせる無数の木々と、
よく手入れされた花壇に囲まれて、
梅雨時の夕陽を浴びていました。
前日の強い雨もあってか、
木々は、幹にも葉脈にも、
いかにもたっぷりと水をたたえている様子です。
かすかな風に水分を蒸散させている葉は
重く揺れながら、
「緑の香り」としか言い表し様のない、
深く、穏やかな空気で、森を包んでいました。
よく手入れされた花壇沿い。
細かな砂利が敷かれた道をスニーカーで踏み歩くと、
1歩ごとに、
スニーカーの底が砂利道に薄くめり込みます。
砂浜を裸足で歩くときに感じるほどではありませんが、
似たような、
「地面を踏んでいる」と実感させる心地。
1歩踏むたびに「ジャリッ」と音がするから砂利道なのか。
その辺りのことは存じませんが、
自然の空気感というものは、
実際にその場に自分を置いてみた方が、
想像の世界よりも、
当たり前ですがリアルに肌に伝わってきます。
ゆったりと揺れる大樹の葉の下で、
視線を上げて胸を張り、深呼吸をしてみると、
胸の奥まで、すーっと新鮮な空気が流れ込んで、
目が覚める思いがしました。
レンガ積みの花壇に植えられた花々は、
梅雨の時季のせいなのか、
遠慮がちな咲き具合に思えましたが、
小さく舞う蝶が良く似合う、可憐な花模様です。
ふと、リフレッシュのために
環境を変えてみることの大切さを思いました。
人のストレスは、置かれた環境に少なからず影響を受けそうです。
日頃はストレスだとも何とも感じていない日常生活。
その中にある、自分では気づかないほどの窮屈さが、
肩ひじを張らないでいい自然を前にすると
知らぬ間にほどけて、
心身が解放されるもののようです。
深い森が教えてくれるのは、
木々の樹齢や花々の名前だけではなく、
緑が放つ “名も無き解放感” なのかもしれません。
あるいはそれを
森の癒やし、フィトンチッドとも呼ぶのでしょう。
陽が陰り始めた帰路。
古びたバス停を備えた、
その公園の駐車場の片隅から、覚えのあるいい香り。
緑の香りとは違う、食欲をそそる香りの正体は、
移動販売のワンボックスカーから漏れる、
焼きトウモロコシの香ばしさでした。
1本350円。
ジーンズのポケットから500円玉を引っ張り出して、
茶色い油紙に包んでもらった焼きトウモロコシは、
少しの焦げ目が香ばしさを膨らませて、
甘い味がしました。
リフレッシュには十分な週末の夕暮れの森でした。