2000年(平成12年)7月19日、
「42年ぶりの新しい額面の紙幣」として、
景気浮揚の期待を背負い、鳴り物入りで払い出しが始まった2000円札。
世界遺産の一つ、沖縄県那覇市・首里城の守礼門が描かれた斬新なデザインの紙幣。
お札を傾けると、角度によって文字や数字が浮かび上がる「潜像模様(潜像効果)」、拡大鏡を使わないと見えないマイクロ文字、
視覚に障害のある方にも識別しやすくするなど、
偽造防止を含めて、最新の紙幣製造技術が施された。
2000円札は、2000年7月の主要国首脳会議(九州・沖縄サミット)開催と、
西暦2000年を記念して発行された。
新札発行による消費促進が期待され払い出しが始まった、その2000年7月19日には、
東京・日本橋の日本銀行本店でも、赤い帯が巻かれた新紙幣が金融機関に配布された。
日本銀行はこの日、本店・支店で1億1000万枚を発行。
2000年度中に10億枚の発行を予定した。
「2番」は、沖縄県。
「3番」は、2000円札発行を発案した故小渕恵三元首相のご遺族に贈られた。
実際、当初は人気が出て、地方銀行の両替などでは、
新紙幣が底を尽く支店もあった。
小売店などは「2000円均一セール」と銘打ったイベントも実施してにぎわった。
ところが、1年もたつと、旗色が変わる。
金融機関の関係者でさえ「目にする機会があまりない」と話すほど、
2000円札の流通は滞った。
主な要因は、現金自動預払機(ATM)や自動販売機の対応の遅れだった。
2000円札の発行からほぼ1年後の2001年10月末、
国内で流通していた紙幣の概数は、多い順から、
1万円札 55億枚。
1000円札 31億枚。
5000円札 4億1000万枚。
2000円札 1億2000万枚。
2000円札の流通枚数はその後、
登場から2年後の2002年7月に3億枚を突破。
日本銀行によると、
2003年10月末に、5000円札の流通枚数(4億4000万枚)を抜いて、4億6000万枚に。
ただし、この頃すでに「(2000円札の)多くが銀行の金庫に眠っているのではないか」と指摘されるようになった。
実際、2000円札の流通枚数は、2004年8月の5億1000万枚をピークに、
その後は右肩下がりとなり、2005年3月には4億1900万枚まで落ち込んだ。
2000年度に7億7000万枚、
2003年度に1億1000万枚の計8億8000万枚を日本銀行に納入。
その後は、製造されていない。
金融機関で保管されたまま、市中に出回らないため目にする機会が少なく、
利用者の認知が進まないために、金融機関が日本銀行に発注する枚数も抑えられ、
さらに存在感が薄まるというマイナスの循環。
大量の紙幣が一般に流通しないまま、″在庫″として日本銀行の金庫に眠っているとみられている。
米国の20ドル紙幣。
英国の20ポンド紙幣。
EUの20ユーロ紙幣など、
主要国で「2」のつくお札はよく流通している。
米国での20ドル札の流通量は22パーセントほどで、
1ドル札に次ぐ流通量だという。
「2」のつくお札に慣れておいて損はない。
お釣りで、2000円札を出してくれるお店もある。
今でも金融機関の窓口でお願いすれば、もちろん両替できる。
地方銀行では、本店でも″新札″の在庫がないケースもあるが、
「皴(しわ)のない、限りなく新札に近い、きれいなお札」なら、ある。
halukaの場合は、なじみのバーで、飲食代金を2000円札でお支払いしたら、
オーナーが「おおーーー!」と笑顔で受け取ってくれました。(^_-)-☆
皆さまもいま一度、手に取ってみられてみてはいかがでしょうか。