今週のお題「傘」
こんにちは、halukaです。
俳句に詠まれる季語にもある「梅雨」。
真夏を迎える前に、
ひと月ほどの雨のシーズンに入ったようです。
通っている俳句教室の日程が近づきまして、
提出する俳句をつくらなければと、
例によって、にわかに苦悶をしていたところ。
そんな折、今週のお題に「傘」とみつけ、
なるほど、
「時機到来」とはこのことでしょう。
まさに梅雨の時季。
傘にまつわる「俳句」を詠うのも小粋かと、
霧のような雨を降らせる雲を思いながら、
独り、季語集をめくる、きのう、きょうです。
日常の生活で、あらかじめ、
天気予報を頭に入れて出掛けるなら、
傘を持って歩くかどうか、
その辺りの思案には目安がつくもの。
ところが常には、そうもあらずが人の道。
「あ、傘忘れた」とは、よく聞くセリフです。
そうでなくても雨に降られる時というのは、
どこかでだれかと長話しでもして、
席を立ち、外に出ようとしたところ、
いつの間にかの強い雨。
仕方がないので、また座り込むというような、
そんな場面も珍しくはないようです。
仕方がないので、傘を持たずに外に出て、
明るくはない空を見上げて、
追ってくる雨脚から逃げるように、
小走りになったり、
雨宿りをしてみたり。
思い返せば、そんな記憶もありまして、
今年も、
傘が手放せない時季がやってきました…
という案配です。
6月の雨を表す季語として親しみがあるのは、
たとえば、
「入梅(にゅうばい)」
「梅雨」
「五月雨(さみだれ)」
「空梅雨(からつゆ)」…
この辺りでしょうか。
このところの空模様を思えば、
「傘」というお題が、
苦心の作句を助けてもくれそうです。
【写真AC】
ところで、
「傘」という漢字をじっと見つめていましたら、
なんとも平易な発見がひとつ。
言い表しますと、
左右にすそを開いた屋根の下に四つの「人」の文字。
それが「傘」。
肩が濡れないようにまるで、4人が寄り添い、
雨宿りでもしているようです。
「傘」と「人」…
梅雨の頃を詠う季語には、
さみだれの頃の暗さを言う「五月闇(さつきやみ)」、
梅雨のうちに吹く南風を言う「黒南風(くろはえ)」、
といった表現もあります。
私にとっては何だか意味深く、
それをどう、俳句に詠めばよいのかと、
悩ましさは増すばかり。
そんな悩ましい頭をやわらげるのに、
雨傘のあでやかさと、
そこに宿る人情を頭に浮かべるのはいい具合です。
俳句教室で、これまで何度か、
受講生の方の俳句の読み上げ(披講)を聞きました。
すると、作品に織り込まれた、
あふれんばかりの感性や観察眼、
癒やしさえ感じたりして、
日常の生活や人の仕草の隅々に目を届かせる、
その視点の鮮やかさに驚かされるばかりです。
「俳句は日常を詠む」「感性で詠む」、
「ありのままを詠む」と、
そういう具合に習いました。
『梅雨』を詠もうとするのなら、
傘を広げて、ぽつぽつと、
そこに落ちる雨音を聞けば、
作句のリズムを天が恵んでもくれそうです。