こんにちは、halukaです。
勝ち負けなどというような事柄は、
どのようにして決するのでしょうか。
そのようなことは、ついぞ分からないまま、
緑の海にサーフボードで漕ぎ出して、波間に浮かんでみたり、
チェス盤や将棋の駒を手に入れては、
誰や彼やとゲームの相手を探してみたり、
たまには、長いお付き合いの友人と、
久しぶりに肩を並べて、
中身などない、内輪話しに相槌を打ってみたり…
それでも、誰の勝ちだとか、どなたの負けだとか、
そういうようなことは、あまり話したりはせず、
「まあ、そうだな」と、にこりと笑って済ませるうちに、
なんだか、肩の荷が下りて、
結局のところ、勝ち負けなどは、
ずっと、ずっと、もっと、もっと、
時を経なければ、分かりはしないのだと、
そんなふうに思ったりもしています。
見たことまではないにしても、
聞いたことくらいはあるであろう、
とある繁華街の午前6時。
何かしらを、吸い込んでしまったり、
何かしらに触ってしまったりするようなことから、
身を守っている様子の、
白や青のツナギを着て、
口元にはマスク、
目元にはプラスチックのゴーグルを着けた、
たいていは、5人ほどのチームの方々が、
路傍に集められた、透明のビニール袋を一袋、また一袋、
その口を開いては、カンカンやガラス瓶や生ものや燃える紙類を分別して、
大型のゴミ収集トラックに、積み込んでお行きになります。
国土交通省に届け出のあるタクシー会社では、
ちょうどそのころ、
夜通しで街を走ったタクシードライバーの皆さんが、ようやく帰路に就き、
交代でハンドルを握る、
目覚めたばかりのタクシードライバーの方々が、こう言います。
「偉いよね。毎朝、見るんだよ、あの人たちを。頭が下がるよ。
ばっとゴミを開いてさ、そして分けてさ、畳んでさ、
そして、居なくなるの。
そのお陰でさ、私らは、きれいな街を走るのさ」。
“仕事だ” と、そう言ってしまえば、それまでのこと。
それならば、遠い異国で悲恋の命を落とした方も、
遠くはない街で、病に倒れた方も、
たいていは、同じように、“仕事” の末のこと。
どなたがどうで、そなたはそうだ…
なんて、そう変わるはずもない。
そんなふうに思ったりもいたします。
【写真AC】
誰かが、誰かを、そうとは気付かれないままに、
そっと守っているからこそ、
あるいは、守っていただいているからこそ、
今の命や生活が、そこにある。
そんなふうにも思います。
誰それには、決して気付かれない守り方。
そんな守り方も、あるんだろうなと、
そんな守り方をしてくださっている方々に、
たまには、一生懸命にお礼を言ってもいいのかな。
そんな朝や夕や夜の闇があってもいいのかな。
ふと、ふと、そんな感傷に浸っている自分に気付いてみたりもします。
天気図に沿えば、穏やかで暖かな一日が近々、待っていそうです。
海に向かって、車を走らせようと思います。
きっと、どなたかが、見守っていてくださると、
そう信じて。