こんにちは、halukaです。
分厚いけれど真っ白な雲を従え、
海をわたってくる潮風が、
薄い水色をした水平線を彼方に映しながら、
湿り気を帯びて岸辺に流れ込み始めると、
アスファルト敷きの駐車場から、
サーフィンを楽しみに通う、
海砂に続く草むらまでの緑が輝きを増し、
路傍の幼い花々が可憐に咲き開くまで、
もう、そんなには時間を要しません。
磯を打つ波は、変わらず大人しく、
潮騒と呼んでいい、
寄せては返すその単調な営みの音調は、
「さあ、今日から春だよ」と、
そう大げさに知らせる素振りなどは見せません。
けれども、その磯に差す太陽光は、
きのうより、確かに長い時間を掛けて、
昼間の波打ち際に溶け込もうとし、
磯に寄せる波の反射も、それを知ってか、
照る可視光にテンポを合わせるかのように、
大海に溶け入るまで、
名残惜し気に尾を引いてみせます。
明日、3月20日(金曜日)は、
令和2年(2020年)の二十四節気のひとつ、
昼と夜の時間がほぼ均等になるとされる、「春分の日」。
「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」(広辞苑第六版)
でもあり、
本格的な春の訪れを告げる契機ともとれます。
春の彼岸の中日にあたることから、
ご先祖敬いに法要や
お墓参りに足を運ばれる方も多いのでは。
照る太陽光はこの季節、まだ、穏やかで、
真冬の冷たさを運んでくる、そよ吹く風の日も、
もう、少なくなるでしょう。
「新緑」という言葉は、不思議な言い回しで、
では、「古い緑」という例えが日常にあるかと問われますと、
「うん」とは、なかなか、答え辛い気もします。
ならば、「新緑」の「新」を
「新生」の「新」、
つまり「新しく生まれ出ること」と、
そう解釈することが許されるなら、
もう一度、広辞苑の力を借りますと、
「生まれ変わった気持ちで人生に再出発すること」(第六版)ともあり、
それは、まるで、自然の営みが運んでくれた、
人生の次のステージへのジャンプ台のようにも思えます。
その「新緑」とは、
晩春から初夏のころの若葉の緑を言いますから、
“春分” の今、緑の輝きを放ち始めたとしても、
それを「新緑」と呼ぶのは、いささか早計なようです。
ただ、たった今、こうしている今も、まさに、
人生の新しいスタート・ラインに立とうとしている皆さまへのエール。
なんの遠慮もなく、輝きを放ってください。
自らの輝きで、その道さえも照らすことが出来るほど、
満身で、光を放ってください。
スタート・ダッシュ!
置いて行かれまいと、
「新緑」の季節が、後からしっかりとついて来ます。
自分流「旅のスタイル探し」。エール「人生を賭けてもいいと思える、その夢を大空を舞う翼に乗せて飛べ。『旅立ちの春』に寄せて」。 - halukaブログ