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やっぱり海が好き!

進め!俳句ビギナー⑨。「俳句を学ぶということは、物事を学ぶということのようであり物事の見方を学ぶということのようでもある辺りが楽しくなっている今日この頃です」の巻。

こんにちは、halukaです。

 

昨年の暮れから、俳句教室に通い始めまして、

つい先ごろ、その感触、魅力のようなことについて、

なにやら、かにやら書いてみたところでしたが、

次回の俳句教室に備えて、

課題の俳句づくりなどに励んでおりましたら、

「俳句を学ぶ」ということは、どういうことなのか、といった、

なんと申しましょうか、

根源的な思索を楽しむようになってしまい、

その知られざる(私が知らなかっただけなのですが…)魅力に、

あらためて魅了されている次第です。

 

進め!俳句ビギナー⑧。「写実力に絵心に文語調と口語調、才麿(さいまろ)に高濱虚子、アダムとイヴにノアの箱舟…と十人十色の俳句教室は学びの森」の巻。 - halukaブログ

 

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  【写真AC】

 

俳句教室では、受講生の皆さまがそれぞれ作ってきた句を、

詠み手の名を伏せて発表した上で、

その中から、「これぞ、いかに!」とおぼしき、優秀な作品を、

受講生や先生それぞれが推薦していく「選句」と呼ばれる時間があり、

それが、なかなかエキサイティングで、

はたと気がつくと、

30分間かそこらは、

その「選句」に夢中になっている自分がおりまして、

いくら、「俳句を学ぶのは、初めてですよ」と言いながらも、

そういうことに気がはまる事になるとは、

これまで、夢にも思っていなかったのです。

 

その「選句」という “学び” のなかから学んでいる事は、

「俳句を学ぶという事は、まず、

その作句の技術を学ぶというより、

何よりもまず、

身近な物事を見る自分の目をもう一度、見つめ直すという事」だと、

そういう事に気が付き始めた昨今です。

 

それはどういう事なのかと申しますと、

例えば、登下校をする小学校や中学校の児童・生徒の皆さん、

例えば、自宅の壁に掛かった古いゼンマイ時計、

例えば、庭の古木に成ったキンカンの実、

例えば、朝、起き抜けに飲んだお茶、

例えば、ふと、空に架かった虹…

そういう事柄は、

私自身もいつの日にか、目にしているはずなのに、

「俳句に詠もう」という発想がない。

つまり、その光景が見えていないか、

あるいは、

心の触れ具合が眠っているか、

もしくは、その光景を言葉に変換できないでいる…

と、そんな具合なのかなあと、思ったりもしています。

 

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  【写真AC】

 

自宅の机やテーブルで、

鉛筆を手に「さて、一句…」と構えてみても、

なかなか、

そううまくは、

俳句に詠もうとする情景が目に浮かばないというのが、

今のところでありまして、

けれども、俳句教室に通いながら、

受講生の皆さまの物事の見方や、

感じ方を俳句や俳文で静かにうかがっていたりしますと、

わざわざ大がかりな旅になど、

そうそう出ることが出来なくても、

日常という毎日の生活の中には、

そこそこ、感動を運んでくれる風が吹いているのだなあと、

そう思うと、

春眠の中にあっても、少し目が覚める思いがする、

そんな今日、この頃です。

 

翌月の分を前月に支払う月謝を入れた、

薄茶色をした月謝袋に押された「受領」の朱印が、

もう四つになりました。

それが、九つか十か十二かくらいになる頃には、

自分の日常を俳句に詠めるようになるといいなと、

そんな事を思う、作句に浸る夕べです。

 

季寄せ

季寄せ

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 三省堂
  • 発売日: 1964/03/01
  • メディア: 単行本